新聞記者をめざし社会学を専攻した私が、
大学卒業後入社できたのはアパレルメーカーの企画部。
クリエイティブな職域に面白さを感じ、
グラフィックデザイナーや広告代理店のプレイングマネージャーを経て、
私にしかできない仕事を、私のやり方でやりたいと、J-CLUBを設立しました。
本格的にJ-CLUBが動き始め、自分の経営資源を問い直した時、
目の前にあったのが新潟でした。
故郷とつながることで故郷への恩返しもしたいと、
毎月新潟の市民運動の会議に参加し、
旧友と酒を酌み交わすうちにネットワークが広がり、
仕事の比重が新潟にぐっと傾きました。
以来、安吾賞のプロデュースをはじめ、
新潟と深く関わるほどに新潟を再発見しながら、
イベントの企画・プロデュースなどを手がけてきました。
新潟再発見と同様に、私の転機となったのが日本再発見でした。
仕事を通して知り合った松岡正剛さんが語る「日本」は、
目から鱗が百枚落ちるほど衝撃的でした。
外来文化を取り入れ、日本流に新たな文化を磨き上げた日本人のオリジナリティ。
間や縁側に象徴されるグレーゾーンを設け社会を構築してきた
日本人ならではの生きる知恵。
一日本人として、日本人の原点を見つめ直すことは、
私の発想に計り知れないチカラを与えてくれました。
例えば、「対角線」。点の延長線上にある点を結ぶのではなく、
まったく異なる方向から異分子をつなぐことで、
どこにもない新たな企画や新しい価値が生まれる。
イエスマンばかりの組織に、あえてノーと言われるようなことを提案するのも、
J-CLUBらしさになっているのかもしれません。
J-CLUBの「J」とは、「JOINT」から名付けた社名です。
私個人ではできないことも、
いろんな人とネットワークすることで必ず成し遂げられる。
そう信じ、さまざまな方と共に歩んできたJ-CLUBはまた、
稼ぎ(金)と努め(社会貢献)の両方を兼ね備えてこそ一人前であるという、
私の理想をも結びつつあります。
日本は今、ぎりぎりのところに立っているように思います。
かつて日本の地域には「結」や「講」などがあり、
中央に頼ることなく互いを支えあうシステムが存在しました。
このような日本の方法とも言うべきものを忘れ去った時、
日本は日本でなくなるのではないかと憂えています。
そうならないために今、私にできることのひとつが、
故郷の町興し事業の一環として行っている、
新潟を再編集することだと思っています。
越後は大和と蝦夷の境の国でした。
そして現在も文化や人種やモノが行き交う、思いがけない可能性を秘めた町です。
地方の再生は、ひいては日本を再生する強力な原動力になると信じています。